大震災の中で [その他]
しばらくブログをさぼってました。ただネタに乏しく、いつのまにかモチベーションが下がってしまってただけなんですけど。
そんな漫然と過ごしていた日常生活の中、3月11日東日本大震災が襲い掛かりました。
地震の時は、震度7を記録した宮城県栗原市で仕事をしてました。
かつてない大きな揺れに、「建物が倒壊するのでは」という不安の中、必死で柱に掴まり、周りのいろいろなものが倒れていく様を見ていました。
その夜は仙台の自宅に帰れず、そして家族とも誰一人連絡が取れず、心配な一夜を過ごしました。
同僚の一人は気仙沼出身。
大津波で街がやられ、私の以上に不安だったことでしょう。
仙台に帰ってみると、家族・自宅とも無事でした。
仙台市内のライフラインは現在電気・水道の復旧が進み、我が家でも使えるようになりました。
でも、宮城の玄関である仙台空港、仙台港、仙台駅・・・皆地震と津波でだめになりました。
鉄道、道路、・・・物資の輸送もできません。
生活用品の調達も、並んでも買えなかったりします。
食べ物もだんだん手に入らなくなってきています(今日はなんとかカップラーメン3個入手できましたが)。
出勤には車しか手段はありませんが、給油がままならず、同じ地域に住む者同士で乗合で出勤し、職場に泊まったりして節約しています。
都市ガスはガスの製造工場が津波でやられ、復旧のめどは立ちません。
すでに1週間近く風呂に入ってませんが、温かい風呂は何か月も先になるかもです。
それでも、自分は家と家族があり、電気水道が使えるようになったし、職場の方にも自衛隊の給水車が来ました。
自分はまだまだはるかにマシです。
避難所で暮らす人達、今も瓦礫の中で救助を待っている人達、冷たい水の中で救助活動をする人達、自分も被災者なのに都市機能の復旧に務めている人達、原発事故に不安になってる人達・・・そういう方々のことを思えば、まだまだ幸せです。
東北は4月の連休頃でも暖房器具が必要な土地です。
今日も雪が降りました。
被災した人達が寒くないよう、お腹がすかないよう、必要な物資が届くことを願います。
それから、近辺でも他県からの応援車両を多数見かけます。
兵庫県や三重県からの消防車、北陸電力や庄内ナンバーの東北電力・・・・全国や世界の人達に支えられていることを感じます。
テレビを見ると、子供のころ民宿に泊まった女川町、海水浴にも行った相馬、透明度が高い海と美しい景色の三陸海岸、美味しい海の幸、漁業や農業、工場などの産業、築き上げた都市機能や文化・・・津波で全て消滅してしまいました。
泣きたい気持ちになりますが、ここは歯をくいしばって乗り越えていかなければなりません。
写真は仙台港近くの石油コンビナートの火災を遠くから撮ったもの。今は鎮火したそうです。
JR仙石線が架線が切れて立ち往生しているところ。雪の中ホームセンターで並ぶ人達。
徒歩圏内の河川で、津波で流されてきた家屋を発見。この写真を撮った後、余震があったため川の水が逆流してきて慌てました。
最後に、自宅の植物(クリスマスローズとシンビジウム)です。これらも無事でした。もうすぐ花が咲きます。
水道が復旧したため、久しぶりに水をやりました。
いつかは立ち直ることを願ってみんなで頑張っていきましょう。
そんな漫然と過ごしていた日常生活の中、3月11日東日本大震災が襲い掛かりました。
地震の時は、震度7を記録した宮城県栗原市で仕事をしてました。
かつてない大きな揺れに、「建物が倒壊するのでは」という不安の中、必死で柱に掴まり、周りのいろいろなものが倒れていく様を見ていました。
その夜は仙台の自宅に帰れず、そして家族とも誰一人連絡が取れず、心配な一夜を過ごしました。
同僚の一人は気仙沼出身。
大津波で街がやられ、私の以上に不安だったことでしょう。
仙台に帰ってみると、家族・自宅とも無事でした。
仙台市内のライフラインは現在電気・水道の復旧が進み、我が家でも使えるようになりました。
でも、宮城の玄関である仙台空港、仙台港、仙台駅・・・皆地震と津波でだめになりました。
鉄道、道路、・・・物資の輸送もできません。
生活用品の調達も、並んでも買えなかったりします。
食べ物もだんだん手に入らなくなってきています(今日はなんとかカップラーメン3個入手できましたが)。
出勤には車しか手段はありませんが、給油がままならず、同じ地域に住む者同士で乗合で出勤し、職場に泊まったりして節約しています。
都市ガスはガスの製造工場が津波でやられ、復旧のめどは立ちません。
すでに1週間近く風呂に入ってませんが、温かい風呂は何か月も先になるかもです。
それでも、自分は家と家族があり、電気水道が使えるようになったし、職場の方にも自衛隊の給水車が来ました。
自分はまだまだはるかにマシです。
避難所で暮らす人達、今も瓦礫の中で救助を待っている人達、冷たい水の中で救助活動をする人達、自分も被災者なのに都市機能の復旧に務めている人達、原発事故に不安になってる人達・・・そういう方々のことを思えば、まだまだ幸せです。
東北は4月の連休頃でも暖房器具が必要な土地です。
今日も雪が降りました。
被災した人達が寒くないよう、お腹がすかないよう、必要な物資が届くことを願います。
それから、近辺でも他県からの応援車両を多数見かけます。
兵庫県や三重県からの消防車、北陸電力や庄内ナンバーの東北電力・・・・全国や世界の人達に支えられていることを感じます。
テレビを見ると、子供のころ民宿に泊まった女川町、海水浴にも行った相馬、透明度が高い海と美しい景色の三陸海岸、美味しい海の幸、漁業や農業、工場などの産業、築き上げた都市機能や文化・・・津波で全て消滅してしまいました。
泣きたい気持ちになりますが、ここは歯をくいしばって乗り越えていかなければなりません。
写真は仙台港近くの石油コンビナートの火災を遠くから撮ったもの。今は鎮火したそうです。
JR仙石線が架線が切れて立ち往生しているところ。雪の中ホームセンターで並ぶ人達。
徒歩圏内の河川で、津波で流されてきた家屋を発見。この写真を撮った後、余震があったため川の水が逆流してきて慌てました。
最後に、自宅の植物(クリスマスローズとシンビジウム)です。これらも無事でした。もうすぐ花が咲きます。
水道が復旧したため、久しぶりに水をやりました。
いつかは立ち直ることを願ってみんなで頑張っていきましょう。
2011-03-16 17:46
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コメント(5)
ご無事で良かったです! ご家族の皆さんも~!
本当にとても大変なようですが頑張って下さいね~
きっと立ち直ります!
by 沙羅朋 (2011-03-17 20:19)
新潟県でも、過去に何度か大きな地震と大雨による水害を経験しました。
今回はそのときの比ではない大災害ですが、どうか一石も早く皆様が
元の生活に戻れますように。
ほんとに災害で不自由な目にあうと、それまでのふつうの生活が如何に
恵まれたものだったかよくわかります。
とにかく頑張って!としかいいようがないですが・・頑張ってください。
by toyo (2011-03-20 08:34)
toyoです。
らっきょ様からの情報を転載させていただきます。
画像認証でうまくいかなかったそうなので私からかわりに
転載させていただきました。
参考にしていただければ幸いです。
toyoさんのブログからお邪魔した新潟県在住のものです。
新潟県からも援助の輪が広がっています。
http://www.yamanobo-zeirishi.jp/blog/
みんなでできることをしていきたいものです。
こんなtxt.などでどう表してよいものかわかりませんが、
励ましたい気持ちだけお察しください。
by らっきょ (2011-03-19 14:42)
by toyo (2011-03-20 09:01)
沙羅朋さん、コメントありがとうございました。
普通の生活にいつ戻れるかわからない状況ですが、日が経つにつれ、生活は改善してきています。
被災地の方々の情報を見聞きするたびに、胸が潰れる思いですが、自分たちができることを精いっぱいやりながら、助け合い、ゆずりあって頑張っていきたいです。
by けろっこケロりん (2011-03-20 16:47)
toyoさん、コメントありがとうございます。
そして、らっきょさん、コメントありがとうございます。
ご紹介いただいたブログも拝見いたしました。
全国からの支援物資が入ってきています。
温かい支援と励ましが身に染みています。
被災地の方々にも、希望の光が早く見えてきますように。
ところで先週天候が悪くなり、吹雪・積雪に見舞われたのですが、南から来られた災害支援車のスリップ事故が、何件かあったそうです。
救援に来てくださる方々、くれぐれも事故にあわれないよう、安全をお祈りいたします。
by けろっこケロりん (2011-03-20 16:56)